2012年2月13日月曜日

・ハーモニー体操を支えるスタッフを紹介しよう




たまには,僕(コンラッド)ばかりが全面に出ずに,
スタッフとして活躍している面々を紹介しよう。

かつての,我々の話し合いで,とりあえずは,僕が前面に出て,
ハーモニー体操のイメージを作っていくことになったのだが,
実際は,多くの仲間の助けを得て,出来上がっている。

今回は,マーケティングを担当している仲間を紹介しよう。

スズキノリマサ・ハーモニー体操プロジェクト
アジア・オセアニア地区マーケティング最高統括最終責任者である。
HPも彼が作っている。

2人が出会う前の偶然の1枚(海でスズキが天山を想定して身体を鍛えている。
その後ろを,コンラッドがサーフィンで通り過ぎたシーンを捉えたショット)



1979年、愛知県岡崎に生まれる。幼少の頃より岡崎の神童とよばれ、小学生の頃には漢字大臣、算数大臣、歴史大臣と数々の要職を歴任。13歳、中学校は不良の巣窟。これからの世の中を生き抜くためには腕力が必要だ、と思い知り、プロレスラーの天山を仮想敵に筋トレに励む。喧嘩喧嘩に明け暮れる日々。高校卒業と同時に海を渡る。インドにて自分の英語がインド人に全く通じないことにショックを受け、ホームシックになる。インドに着いてわずか3時間のことであった。兄に電話をするが「そんなに情けない弟は俺にはいない。そこで死ね」と電話を切られる。発奮。インド英語を極める。その後世界各地を放浪。様々な国で酒を飲み、様々な地位の人と交流する。28歳の時にタイの島にて,荒れ狂う海を相手に身体を鍛えている時に,コンラッド・ユーキ・フッテルに出会う。「文と武は極めたんだろ? これからは遊だ。日本に遊びの精神をつくっていくことが俺たちの使命だ」と誘われる。ハーモニー体操プロジェクトに参戦する。


コンラッド・ユーキ・フッテルの存在を気にし始め,迎え入れるスズキ。この後,
「文と武は極めただろ。これからは遊だ」と伝説的な誘いを受けることになる。



具体的な形を為したのは2010年11月。フェルデンクライス界の頂点,ミアシーガル女史のワークショップをコンラッドが企画・主催した時のことである。コンラッドイベントのマーケティングを担当しないかと誘われたスズキはフェルデンクライスに興味はないと断った。しかし,「それは完全に間違っている。フェルデンクライスに興味なんてなくていい。しかし,世界の頂点の先生が来る。フェルデンクライスに魅かれている人が来る。その人たちはフェルデンクライスを通して人生を楽しもうとしている,そのムーブメントを応援して盛り上げることで,日本に勢いを作っていくことこそ,君のやりたいことじゃないのか,大きなチャンスだと思わないのかこのコンチクショウ。」と怒鳴られ,腹を決める。初めてインターネットというものを勉強し始め今に至る。




自分の使命は,日本を一等国にすることである。日本を世界で断然楽しく,日本で暮らす人が充実した顔をしているという意味の世界の一等国にすることである。ハーモニー体操はそのために重要な役割を果たす。ハーモニー体操に関わる人々を応援していくことが,必須であると感じ,24時間をハーモニー体操に捧げる日々である。道を歩きながらハーモニー体操のことを考え,人に会えばハーモニー体操を語り,ビールを飲めばハーモニー体操の夢を酔い,風呂に入ればハーモニー体操のテーマを鼻歌と口笛で。ハーモニー体操の夢を見ながら眠る毎日を送っている。

自分の肩書きについては本人も言えたことがない。

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