ハローみなさん、コンラッドです。
この写真は昨年末イスタンブールですが、
これを撮った後、見計らったように現地の人が話しかけてきて
絨毯を売りつけられました。海外は気が抜けません。
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さて、
今週末から大阪でトレーニングコースが始まるので、
最後の告知を兼ねて、僕が心がけている事を書きます。
それは、他人を見た時に、
その人の身体がどう歪んでいるか、
というような見方を”しない”、ということです。
*
「ハーモニー”体操”を教えている」と言うと、
それがどんなものか知らないはずなのに、
嫌がる人たちが結構います。
はじめは分かりませんでしたが、
「体操」という言葉がどうも嫌われているようなのです。
大抵そういう方は、ちょっと猫背だったり、
”いわゆる”姿勢が悪い人たちです。
ちょっと心の距離ができるのを感じますし、
酷い事には「うわっ、胡散臭いものやってるな〜」
と言われたこともあります。
ちょっと斜に構えた感じで、
「俺もカラダ歪んでるんだよね〜」と
”自分でも分かってるんだよ”という感じで
牽制してくる人もいます(笑)
そういう人たちに対しては、
「カラダが歪んでるとかは、僕は
よく分からないんです」とか、
「あまり関係ないんです」
と言うと、次第に安心してくれます。
*
僕は、
「いい姿勢」「正しい姿勢」という言い方が大っ嫌いです。
ちょっと勉強すると、人のことを見て、
歪んでるだの、もっとこうしろだのと、
言ってくる人が多いです。
整体の勉強をしはじめたばかりの頃や、
カラダに関するインストラクターになりたての頃は、
人の姿勢を見られるようになった喜びや、
知らなかったことを知った嬉しさからか、
人の姿勢についてアレヤコレヤ言いがちです。
僕も学生時代には随分やって友達を失いましたが、
ある先生のおかげで、そういう風に見なくなりました。
得意げになって人の姿勢についてあれこれ言ってた頃、
その先生にこう尋ねたことがありました。
「人の姿勢について気になったりしませんか?」
「あんまりそういう目で人を見ないようにしてるんだよね」
「え、どうしてですか?」
「だってさ、こちらだけ透視メガネをかけて
人を見てるみたいで、失礼じゃない?」
考えてもいなかった事で、
胃のあたりをギュッと掴まれた気がして、
それ以来やめました。
もちろん、カラダの事を専門とするなら、
カラダを見た時に、その特徴を見られるようにならなければ
仕事にならない部分もあります。
でも、先生が言ったことは、
人と向き合う時の基本的な態度のことじゃないかと思うんです。
カラダの指導者として目を養うという事よりも、
ある意味では重要でしょう。
ある意味とは、幸せに貢献する、という点でです。
世間的に”歪み”と言われていようが、”悪い”癖を持っていようが、
それはある時期その人が必要に迫られ身につけた、
恩人のようなものです。
乱暴な例えですが、人生を戦場に例えれば、
戦場では、弾が飛んでくる中をどのように身をかわすかで、
傷がつく部位も変わりますが、身をかわすことができたから、
今生きているわけです。
その傷は他の部位を守るために傷ついた
と言えるのではないでしょうか。
ある時期、必要があった、その傷に対して、
悪いだの、歪みだの、安易に言わないようにしたいですね。
*
もう一点専門的な事を言えば、
ある流派で”いい”姿勢は、別の流派から見たら
”悪い”姿勢であることも多いのです。
あなたの信じている”いい姿勢”が、
ちっぽけな価値観に基づいて作られた嘘かもしれません。
そういう可能性は僕が信じている”いい姿勢”にも常にあります。
そもそも、”悪い”とされる姿勢が、
ある人が生きていく上では、
重要な役割を果たしていることも多いです。
自分が今いいと思っていることが間違っている可能性は、
常にあります。というよりは常に間違いを含んでいるでしょう。
インストラクターになりたての皆さん、
整体などを習いたての皆さん、気をつけましょう。
*
さて、コースに関して。
傷や痛みや不都合な癖が、人生において必要だったとしても、
これから、どう生きていくか、は、また別の話。
私たちは、未来に向かって生きているわけですから、
自分の行動パターンを知って、
よりよいあり方を造っていけばいいんです。
ということで、今回の養成コースのコードネームは、
「からだはもっと自由で広くておもしろい」
週末は、たこ焼きを持って集合や!
大阪トレーニングコースへの参加は
ファイナルコール(最後の呼びかけ)です。
東京トレーニングコースへの参加はまだ間に合います。
いずれもこちらからお願いします。ハーモニーHP
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